Pâtisseries Régionales Françaises
フランス地方菓子
【Centre / サントル】②
「フランスの庭園」とも言われるフランス有数の景観地として知られており、多くの優美な古城が残っていることから「Val de Loire entre Sully sur Loire et Chalonnesシュリー・スュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」として世界遺産にも登録されている地域を含む地域圏です(ちなみにその1/4はPays de la Loireペイ・ド・ラ・ロワール地域圏にあり、かつてのduché d’Anjouアンジュー公領です。このことから、現在でも複雑な問題が出て来ています→参照Pays de la Loire)。その言われのように多くの城が築かれ、それはまたこの地がduché d’Orléansオルレアン公領、duché de Touraineトゥーレーヌ公領、duché de Berryベリー公領というフランス王家の王族(特にduché d’Orléansにおいては王太子が名乗るComté de Dauphinéドーフィネ伯に次ぐ高位の爵位でした)に与えられた王領でも重要な地域であったことに由来しています(これらは州編成後もその名と域地を保ちました)。平坦な地形、温暖な気候、la Loireロワール川水系の美しさは時の支配層を魅了し、そのような宮廷文化の栄華からこの地域では典雅なフランス語が発展し、現在でもこの地域のフランス語が最も美しいと言われています。このような宮廷文化の名残からか、『地方菓子』についても、この地域圏では優美なconfiserie砂糖菓子に関するものが非常に多かったです。残念ながら私自身があまり城に興味がなかったためにアクセスが楽な場所以外はほとんど訪れていなく、また場内見学もほとんどしませんでした。
Bourges / ブールジュ
Orléansオルレアンから電車で1時間20分くらいです。Cherシェール県の県庁所在地なだけにそこそこの規模ですし、この地域圏ではToursトゥール、Orléansオルレアンに次ぐ人口を擁します。また、ここはかつてBerryベリーと呼ばれた地域の中心地でした。ベリーの名は最も豪華な装飾写本として知られている「Les Très Riches Heures du Duc de Berry(ベリー公のいとも豪華なる時祷書)」でご存知の方もいるかと思いますが、そのベリー公爵領、それから続くベリー州の中心地がここBourgesです。街にはpatrimoine mondial de l’UNESCOユネスコ世界遺産にも登録されているゴシック建築のCathédrale Saint Etienneサンテティエンヌ大聖堂があります。
Chartres / シャルトル
OrléansオルレアンからSNCFのバスで1時間半程です。Eure et Loireウール・エ・ロワール県の県庁所在地だけにけっこう大きな町です。ここは一大穀物地帯として知られるrégion naturelle自然地理区分でいうBeauceボースに位置し、中世からその中心地として栄えました。現在、この町で最も有名なのが「 Cathédrale Notre-Dame de Chartresシャルトル大聖堂」です。これはゴシック建築の傑作として世界遺産に登録されています。この教会が多くの巡礼者、観光客を引きつけるのは二つの大きな要素があります。一つは「シャルトルの青」といわれる華美なステンドグラスです。もう一つはカール大帝の息子でカロリング朝西フランク王国の初代国王シャルル2世(西ローマ皇帝カール2世)によって贈られた「Voile de Vierge」もしくは「 Sainte Tunique」と呼ばれる、聖母マリアのものとされいる聖衣です。これによりこの町は聖母マリア信仰の中心地として多くの巡礼者を集めたのでした。
Châteaudun / シャトーダン
Orléansオルレアンからバスで1時間程です。Gouloisガリア(ゴール)語のdunonに由来するdunがつき、これは「砦」という意味です。dunがつく都市には砦、それから派生する城があることが多いです。それほど大きくはない町ですが、ここにもゴシック様式の城が残っています。ここはrégion naturelle自然地理区分でいうBeauceボースに位置し、その中の一地域であるDunoisデュノワの中心地でした。このBeauceはフランスでも有数の穀物地帯として知られています。バスでの移動でしたのでまさにそのどこまでも続く小麦畑の中を通って行きました。その規模たるや、日本では考えられない様なもので、菓子・パンを含め小麦文化では、根っこの部分ではどうあがいてもフランスには勝てないな、という思いを抱いた場所です。
Montargis / モンタルジ
Orléansオルレアンから民間バスで1時間40分程です。いくつもの川が流れ、運河も張り巡らされ多くの橋が架けられているようすから、「Venise de Gâtinaisガティネのヴェニス」と呼ばれています。ガティネとは「Ancien Possession et Région Naturelle / 中世以降のフランスの勢力図と自然地理区分」のページでも触れていますが、フランスにおける自然地理区分になります。ちなみにこのGâtinaisはmiel蜂蜜とsaflanサフランが有名です。この町はPraslineプラリーヌで有名なMaison Mazetメゾン・マゼの本拠地です。PraslineはLouisXIIルイ13世治世の1600年頃のCésar de Choiseulセザール・ド・ショワズールという人物に由来します。この人物の給士官であったClément Jaluzotクレマン・ジャリュゾが考案したものとされていますが、彼の主人César de ChoiseulがComte du Plessis-Praslinプレシ・プララン伯であったことから考案したものを「Praslineプラリーヌ」と呼んだのでした。
Valençay / ヴァランセ
Châteaurouxから電車でだいぶ遠回りしなければならず、2時間くらいかかりました。とても小さい町ですが、菓子屋にとって非常に重要なものがある町です。この町には城があり、その城はCharles-Maurice de Talleyrand-Périgordシャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールの所有した城です。彼のことはフランス革命・ナポレオン戦争後のヨーロッパ秩序を制定したウィーン会議でフランス代表として活躍した政治家として歴史的にも重要な人物です。彼は美食家としても知られ、彼がここValençayの城に雇い入れ、各国要人との会談の席で振る舞う料理を任せたのがMarie-Antoine Carêmeマリー=アントワーヌ・カレーム(通称アントナン・カレーム)です。彼はもともとPâtissierとして見いだされた人物であったため、菓子職人としての側面が多く取り上げられがちですが、pâtissierとして成功したのちにはcuisine料理(patisserieも本来はcuisineの一部です)全般に関わる仕事をしています。料理そのものはもとより、調理道具から皿・テーブル・セッティングに至るまで、「食事」に関する全てのことにおいてその才能を発揮し、後世に多大な影響を及ぼしています。ウィーン会議でもタレーランに付き従い、各国要人に料理を振る舞い、「食卓外交」とまで呼ばれるフランスの国際情勢での立ち居振る舞いに大いに貢献しました。この城には彼が働いた厨房や道具類、テーブルセッティング等が展示されていますので、「食」に携わる人間にとっては訪れて損はありません。「食」ということに関して、この町にはfromageチーズのspécialitéとしてA.O.P.(原産地呼称保護)に指定されている「Valençay」が有名です。chèvreヤギ乳を使ったfromageでピラミッド型をしているのが特徴的です。表面が灰色になっていますが、これはcharbon végétal alimentaire木炭を振りかけているためです。